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​◎海峡を越えて(小説版)青函連絡船編 短編集2
ゆく年くる年
ゆく年くる年(羊蹄丸と八甲田丸)

遠くから微かに、紅白歌合戦の音が聞こえてくる。

今年も残すところあと30分。自分の出航は年の明けた0時10分だ。暖かい部屋は名残惜しいが、そろそろ、桟橋に行かなくては。

外套の襟元をしっかりと止め、ノブに手を伸ばしかけた…、とそのとき、勢いよく扉が開いて、八甲田丸が入ってきた。彼は帽子を取りながら、ぶるぶると震えた。

「あったか!中あったかいね⁈外、すっごく寒いよ!」

「それ、これから出航のあたしに言うセリフ?」

八甲田丸はパチパチと瞬きすると、気まずそうに羊蹄丸の全身を眺めた。

「…外套着てる…そっかー年明け勤務かー…お疲れさまです…。」

「2本後か、周遊号なら洋上で初日の出が拝めたのにね。役得が何もないわ。」

とはいえ、これも務めだ。自分たちの存在意義は、青函を繋ぐことなのだから。

「じゃあ行くわ、」

「待って」

八甲田丸に腕を掴まれた。

「兄ちゃんが一杯おごっちゃる。」

 

「…缶汁粉じゃないですか、おにーさま…。」

「誰が酒を奢ると言った。これから仕事だっつったのは羊蹄じゃないか。」

彼は素知らぬ顔でプルタブに手をかけた。

「缶の飲み口も変わったわね。少し前までプルタブは取る方式だったのに。」

「時代は進むのさ。」

「…海峡の連絡隧道が開通したら、どうなると思う?」

羊蹄丸は缶を手の中でもてあそびながら、誰ともなくつぶやいた。

「私たち、お役御免になるでしょう。これも時代、八甲田丸?」

「…そうさね、」

八甲田丸は空を見上げて、汁粉をすすった。

「どうしたって時は過ぎてゆくし、変わらなくちゃいけないものはあるだろう。俺は笑って

 後輩たちにこのみちを譲るよ。」

「…兄さんは強いね。あたしはどうしてもそう思えないな。」

羊蹄丸はぽつりと言った。

「あたしたちがいたことを、みんなが忘れてしまうのが怖いよ。」

「羊蹄はそれでいいんじゃないの。」

思わず見返した。

たぶん。

彼は笑っていた。

「いいの、それで」

「いいよ。羊蹄は思いっきり活動して、俺らがいることを、70年以上この海を繋いできた

 ことを、知らしめてくれればそれでいい。」

「でも、」

「そういうやつがいた方が面白いだろ?」

八甲田丸はダメ押しのように言った。

「羊蹄、おまえは何が何でも残れよ。保存船になれ。そうすれば、誰も忘れない。」

「…そうね。」

またくる年が、どんなものになるかは分からない。

ただ。自分は自分のままであろうと思う。

「ほれ、早く飲まないと冷めるぞ。」

促されて缶を開けた。白い湯気が、夜空に立ち昇った。

「よいお年を。」

八甲田丸が缶を軽くぶつけてきた。

ちょっと笑って、頷き返す。

「よいお年を。」

函館山に星が降る
函館山に星が降る(ED79と摩周丸)

 函館駅は海岸線に沿って緩やかな弧を描いている。現在でこそ駅舎の端で全ての線路が

途切れてはいるが、かつてはもう少し先の海まで伸びていて、突き出した埠頭からは青函

連絡船たちが昼夜を問わず発着していた。

 臥牛山がよく臨めるその岸壁には、一隻だけ函館に残った白とブルーの船が繋がれており、のんびりと海峡の方角を眺めながら第二の船生を送っている。この船、摩周丸の主は白髪の

青年であって、ED79とは旧知の間柄だった。

 

「おつかいを頼んでもいいか?」

市街地に雪が降り積もるころ、摩周丸はにこやかにそう切り出した。

「急に何ですか………」

渋い顔で見返すと、彼はごそごそと服を漁って1枚の紙を引っ張り出した。

「青森の酒。弘前の蔵が新しい銘柄を造ったらしくて。」

「ああ、弘前の。」

「そう。弘前の。青函トンネルの湧水を使っているっていうから。気になって。」

かつての連絡船は「葛登支、白神、大間、龍飛、平舘、」と指折り数えて笑った。

「龍飛崎。懐かしいね。八甲田は毎日唄を聴いているだろうから、懐かしむほどでもないと

 思うけど。」

あの近付くと唄が流れる歌碑のことか。青森の黄色い連絡船の顔を思い浮かべている隙に、

摩周丸は桟橋の段々を上っていってしまった。

「じゃ。頼んだよ。一升瓶でよろしく。あとで代金は払うよ。」

ぱたん、と引き戸が閉められて、ED79はため息をついた。

 

「摩周も勝手だねえ」

八甲田丸は頬杖をついて、船首からこちらを見下ろしてきた。

「あのひとになにか言えるのはあなただけなんだから、文句の一つでも言ってやって

 くださいよ…」

「僕も摩周を止めるのは無理だよ?津軽丸型としては僕のが年上だけど、連絡船歴は

 あいつのが長いもの。「前の」摩周もあんな感じだったし。」

不満げな表情を読み取ったのか、彼は少し身を乗り出して、手招きをした。

「上がってこれる?」

「今日は長話する暇はないですよ」

「じゃあここで。」

 

褐色の大瓶を抱えて近付くと、遊歩甲板から覗く白い頭が消えて、目の前の階段に腰を

掛けた青年が現れた。

「八甲田に怒られたんですがー」

「自業自得です。」

ED79は摩周丸の隣に座ると、反対側に瓶を下ろした。

「起工日を祝ってほしいなら素直にそう言えばいいのに。」

むくれ顔の目が丸くなってこちらを向いた。

「全く。そもそも一升もどうやって飲みきるつもりだったんですか。ふねは酒にはつよくない

 でしょう?」

「いや…それはおまえが強いだけ…」

猪口を二つ取り出して前に置く。瓶の口をひねると、若い酒の香りが濃くただよった。

相手がもごもご言っているのを無視して、ED79は中身を器に注いだ。

「はい。起工日おめでとうございます。あと、ごちそうさまです。」

飲み口は爽やかで、風がするりと通り抜けていく。

「たんとお飲み…」

まいったな、という顔で摩周丸も猪口を持ち上げた。

函館山の向こうに、冬の星空が広がっていく。

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