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・人生という名の

漫画版

漫画版(『北海道オールジャンル擬人化アンソロジー』寄稿作品)

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小説版

小説版(漫画原案)

人生という名の

「まもなく大間埼灯台通過、か……定刻通りだな。」

一際強い風が吹いて、第六青函丸は少し、目をすがめた。

左舷前方には、大間埼。

右舷の彼方には、矢越岬が青く見える。

10時を過ぎて、気温が少しだけ上がったように思える。

 

伸びをして、船橋を出た。

デッキには幾人か客がいて、寒空の中、海を眺めていた。……とはいっても、

長時間留まっている者はほとんどいなかったが。

(函館港内の気温が氷点付近。当然、海上ではそれを下回るわけで。)

ざっと客たちの様子に目を遣る。一人、また一人と客室に帰っていく中で、

右舷の前方に一つ、さっきからずっと動かない影があった。

まだ若い青年だ。注意して見ていると、彼は次第に身を乗り出して、危なっかしげな格好になってきた。……まるで、今にも外に落ちそうなくらいに。

嫌な予感が頭を掠めた。

(飛び降り?…冗談じゃない)

(これ以上、この船で人死にを出してたまるか)

つかつかと歩み寄って、青年の肩を軽く叩く。

びくり、と震えて、彼は勢いよく振り返った。

 

「……、……、」

言葉が出ないらしい。無理もない、いきなり見ず知らずのひとが背後に現れたら、誰だって驚く。…こちらは人間ではないのだから、なおさらだ。

「おい、それ以上身を乗り出すと危ない。落ちる気か。」

きつめの語調で言うと、警戒しきっていた顔が少しだけ、緩んだ。

「別に、飛び降りようと思っていたわけじゃ、ないです。」

「そんならいいんだが。もうちょっと身を引いてくれ。」

そう言うと、青年は素直に体を戻した。もっとも、手はしっかりと手すりを掴んだまま、顔は水平線の方へ向けたまま、だったのだが。

「何か気になるものでも?ちょっと早いがイルカでもいたか?」

努めて軽く、問いかける。青年は、

「いえ、イルカも気になりますけれど、」

と言ったあと、僅かな間だけ、口を閉じた。

 

「ちょうどあのあたりに父がまだいるのかな、と」

示した指の先には、海原が広がっているばかりだった。

(ああ、もしかして)

「空襲で…?」

「そうです。連絡船の船員だったんですけど、船が沈んで」

目には海の色が映っている。まだまだ寒い3月の、津軽海峡の色が。

「引上げられた船もあったそうなんですが、父の船はそうではなかったので」

脳裏を、黒髪の貨客船の姿が過った。

(ああ、みんないなくなってしまった。)

 

沈黙が流れた。

「すみません、変な話をしてしまって。」

青年は、実にすまなそうな顔をして謝った。

「いや、こちらこそ、深入りしてすまなかった。」

第六青函丸も謝った。

「もう、柵の外には身を乗り出すなよ。」

よい旅を、と言いかけて。

相手から、小さく声が漏れたことに気が付いた。

「深入りついでに……1つ話を聞いてくれやしませんか?」

 

「迷っているんです、」

「戻るべきか、このまま進むべきか」

「幼いころから、絵を描くことが好きでした。元々は5つ上の次兄が絵を描いて

 いて、その真似事だったのですが」

「兄は……肺を病んで亡くなりましたが、僕はまだ絵を描いています。」

物憂げに視線が沈む。

「それで?上りの船にいるということは、上野にでも行くつもりか?」

青年の表情が揺らいだ。

「そのつもりです」

「母には猛烈に反対されました。おまえだけは手元に置いておきたいと思って

 いたのにって。それを言われるとどうしようもないですよね。結局、説得でき

 なくて、家を出てきてしまいましたが……知り合いの左官屋のところに半年、

 居候していました」

「ただ、次兄が行きたがっていたから上野に行きたいのか……僕自身が行きたい

 のか、分からなくなって……」

「次兄は果たして、僕が上京することを喜ぶでしょうか……」

(……ああ、こいつも)

(自分が何者かで迷っている)

「あのな、」

相手の肩がびくり、と跳ねるのが見えた。

「いなくなった人間の考えなんて、一生分からんよ」

「いくら願えど皆、戻っては来ないんだから」

「残された者は、それこそ好き勝手に生きるほかあるまいさ」

そう、戻ってこない。人も船も。

「絵が好きなら、本当に好きなのであれば、前に進んでみればいいんでないか」

ぽん、と肩に手を置いて通りすがりに最後の台詞を紡いだ。

「青森まであと四半時ほどだ。ゆっくり考えてみるといい。」

 

青森は北へ、南へ、向かう人々の交差する駅だ。

長い客車の編成に、轟轟と煙を吐く蒸機。

出会いと別れと日常と非日常と、混ざりあって、ごたまぜになって、独特の音を奏でている。

上野行きの電車へ押し寄せる波に、まだ年若い青年が1人、向かっていくのが

分かった。

今さら野暮だなあと思いつつ、声を掛ける。

「本当に行くのか?今ならまだ戻れるぞ。」

「絵が好きなんですよ。絵を描くことが好きなんです。そうです。」

そう言って笑った青年の顔は、年相応に幼く見えた。

 

三月の末ともなると雪は消え、函館の街に春の風が吹くようになる。

有川の埠頭に無事、着岸した第六青函丸は、建屋の廊下を歩きながら、差し込む陽に目を細めた。補助汽船によると、今は日高丸が休憩室にいるそうだ。

「やあ六郎、三日ぶりだね。お茶でも飲む?」

紫がかった頭の貨物船は、ストーブの上からヤカンを持ち上げた。

熱い茶を啜りつつ、ぽつぽつと近況報告をする。相手は茶菓子をぱくつきながら口を挟みんできたが、ふと、思い出したように手を振った。

「そういえば聞いたか。十字街の手前に左官屋があるだろ、そこの軒先で若いの

 が新しい看板を描いてる。」

「へえ。あそこの看板、新しくなるのか」

気が向けば、次の沖出しの時にでも見物に行ってもいいかもしれない。

ぼんやりと考えた矢先の言葉に、第六青函丸は茶を盛大に噴いた。

「上野の藝大の講師だそうだ。なんでも、元々函館出身なんだとか。

 …おい、なに笑ってんだ。そんな面白いところあったか、俺の話に。」

見なくても分かる。日高丸は困惑しきっているに違いない。

それもそうだ。彼には、分かるまい。

「いや、なんでもない。…ただ、いい話だと思って。」

「いい話だな、いい話だ。」

​(終)

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