top of page

・季夏は終わらず

北海道の稚内と南樺太の大泊を結ぶ鉄道連絡船(稚泊連絡船)として造られ、

​第二次大戦の後は青函航路へ転属となった「宗谷丸」の船歴を追う漫画です。

 

【原稿ができている冒頭(第一部その1)をまず公開します】

soyamaru_kika_manga_01.png
soyamaru_kika_manga_03.png
soyamaru_kika_manga_02.png
soyamaru_kika_manga_05.png
soyamaru_kika_manga_04.png
soyamaru_kika_manga_07.png
soyamaru_kika_manga_06.png

【宗谷丸という船に関する簡単な説明】

私は「青函連絡船」というタイプの船について調べたり擬人化をしたりしていますが、

この船たちの中には最初から「青函連絡船」として走らせるために造ったわけではない、

他の航路から転属したり、借りたりしていた船もおります。

 

「宗谷丸」はそのうちの一隻であり、元は鉄道連絡船は鉄道連絡船でも「稚泊航路」のために

造られた船です。北緯50度以南の樺太島は、1905(明治38)年のポーツマス条約調印に伴い

日本領土となりましたが、第二次大戦の敗戦で日本の手を離れ、稚泊航路も廃止されました。

航路を失った宗谷丸は、空襲を受け船が不足していた青函航路に転属しますが、青函航路は

「貨車航送」という貨物の輸送方式を採用しており、これに対応していない宗谷丸は運用が

完全に別系統となっていました。そして、青函航路用の新造船が投入され船不足が解消されると、また別の鉄道局へ転属しました。

​【だいぶ前に描き始めた漫画を数年越しに公開する理由】

​この漫画のネームを書いている最中にウクライナとロシアの戦争が始まり、

執筆に全く手を付けられずに止まっていましたが、

せめてネームがまとまって存在する冒頭だけは公開しておきたいと思い、

暫定でペン入れをして原稿を作りました。

ネームの執筆を再開でき、話が完成したときは、同人誌としてまとめるつもりですが、

​その前に監修を入れたいと思っています。

【執筆においての指針】

・稚泊航路の「緊急疎開」だけに着目しない

・なるべく(南)樺太の産業や特性について書く

​・青函航路時代は函館市の(主に樺太からの)引揚者受け入れについて触れる

bottom of page