top of page
・片碧の杜人
才無き者

「…すみません、なんとおっしゃいましたか?」。

「君に推薦状を書くことは出来ないと言った。」

随分と暑い日だった。教室の古びた机の上で木漏れ日がちらちらと踊っている。

鉛筆が机の上に落ちて、小さく音を立てて跳ねた。

「適性試験の結果は既に渡した通りだ。君を樹草管理官…杜士の上級校へ推薦することは出来な

 い。これは私の主義思想とは関係なく、規則として定められていることだ。」

教諭の表情は読み取れない。

「そんな顔をされてもこればかりはどうしようもないのだ。君が随分苦心していたことは担任とし

 て重々知っているつもりだ。事実…知識問題、分析に設計、技術論は最高得点を叩き出してい

 る…文句を付ける隙などどこにもない。」

 しかしね、室見くん

 君には植物を操る適性が無い。

「育成、伐採、枯死…得点は全て最底値だ。最も管理官として必要な能力が君には無い。」

 彼は顔の前で組み合わせていた指を緩めると、用紙をこちらに滑らせた。

「中等学校の進級試験でも判明していたことだが、なぜそこまで杜士にこだわる?」

「技工の適性試験は全て最上位だったじゃないか。お父さんは君が後を継ぐことを望んでおられる

 のだろう?」

 いやな沈黙が流れた。

 教諭は溜息を吐いた。

「…再面談までに二週間あげよう。それまでに、もう一度親御さんと話した上で、自分の結論を

 持ってきなさい。私は君が、自分の能力を活かせる道に進んで欲しいと思うがね。」

「出て行ってよろしい。」

 

✳✳✳

 

 曰く、この国は一度滅亡したのだという。

 今となっては信じられないような話だが、電脳が社会基盤の全てを制御していた時代があったらしい。列島の中央部には高速度幹線鐵路が張り巡らされており、関東から中部、近畿地方まで一時間足らずで行くことが出来たのだという。誰でも多機能型端末を携帯し、互いの顔をいつでも見ることが可能であったとも聞いている。

 今となっては、昔の話だ。

 中等学校の近代史で取り上げられる項なので、学生は嫌というほど学ぶことである。

 二十一世紀も半ばを過ぎた頃、予てから危惧されていた紀伊半島南方沖の、南海沈み込み帯で地震が発生した。紀伊半島自体の人口密度はそれほど高くなかったため、この時点での被害は津波が早くに到達した紀伊半島、四国東部に留まった。

 事態が急変したのは翌日のことである。

 昼過ぎに紀伊半島から遠州灘の浅層でマグニチュード八.五の地震が、一時間後に駿河湾沖で、三時間後に土佐湾沖でそれぞれマグニチュード八.〇の地震が連動して発生し、太平洋、瀬戸内、九州の日向灘から周防灘にかけての沿岸部は阿鼻叫喚の状態となった。東海道は静岡県の由比ヶ浜を中心として寸断され、中央本線の橋梁が落ちたために東西の物流が停止したのである。直ちに緊急閣議が招集されたものの、農水省を始めに閣僚内でも罹災者が多数出ており、現況がなかなか判明せず、裏日本の自衛隊・米軍が駆けずり回ることとなった。台風の時期で地盤が緩み、被災地では土砂災害が多発し、二次災害での死亡者・行方不明者数は一時期四桁を超えた。

 その年の暮れ、ようやく復興に乗り出した時期に更なる衝撃が列島を襲った。

 変異型高原性鳥インフルエンザの上陸であった。数年前から大陸で度々小規模の流行が確認されていたものの、検疫で食い止められており、また、震災で人員が手薄だったことから、対応が遅れた。

 流行は、翌年も、その翌年も続いた。

 この二つの災で、本州の総人口は一時期数年前の十分の一にまで落ち込んだ。ここまで急激に人が減ると、これまでの流通構造、社会基盤を維持していくことは難しい。人々は大都市を放棄し、地方に中規模の集落を形成して点在するようになった。

 放棄された都市部には植物が侵入し、あっという間に森林が覆ってしまった。

 そもそも日本は温帯で、降水量が豊富なこともあり、放っておけばどこでも森林になる地域である。当時騒がれていた温暖化と二酸化炭素の上昇のせいか、津波がおかしな物質でも浴びせかけたのだか、異常なほど植物が育った。都市部を覆った森林は急激にその範囲を広げていき、人々は斧や鉈、鋸、チェンソーを駆り出して、侵食してくるものたちと戦う羽目になった。しかし、その結果は芳しくなく、震災から十年後には森林率が九割を超したのだという。

 政府は理研と森林総研に予算を注ぎ込み、苦肉の策で杜人の登用に踏み切った。森林の侵食が始まってから、一部地域では植物の制御に長けたヒトが確認されるようになった。分析してみると、遺伝子レベルで植物と親和性が高い変異が発現しており、中央では特に発現の高いヒトを集めて特殊教育を施し、樹草管理官―通称「杜士」として各地に派遣したのである。杜士の登場をもって、植物の台頭はある程度制御出来るものに落ち着いた。

 杜士の制定からおよそ百五十年。

 杜士はいまや国家の維持のために絶やすことの出来ない重要職であり、職業的地位が極めて高いために、希望者は多く、関連教育機関への進学倍率も高い。中等教育へ進学する際には、職業適性試験の受験が義務付けられており、ある程度の進学先が振るい分けられる。杜士の適性が有るものは自動的に専門課程のある教育施設へ送られるが、この時点での選別はまだ強制的ではなく、稀に適性判定値が低めの生徒も、学術知識を取得するために進学してきたりする。しかし更に上、上級学校まで進むためには生来の植物制御能力が必須であり、実技審査で明らかな適性を見せなければ進学は不可能である。

 生来の適性能力者でなければ、杜士にはなれない。

✳✳✳

 

 石を投げた。

 対岸までは届かずに、川の中ほどで水しぶきを立てて沈み込んだ。

 腹底から湧き上がるような悲しみを覚えて再び石を投げた。

 何回石を放ったか忘れるくらいの回数の後、不意に何もかもがどうでもよく感じられてきて、室見鉄也は土手に倒れ込んだ。

 何もかも無駄だった。

 中等学校へ進学するときも、幾度となく受験した適性試験でも、散々言われたことではある。植物制御の実習とて、開校以来ぶっちぎりの最低点を取り、全講義出席の出席点とレポート、恐らく教授のお情けでギリギリの可を取った。同級生が講義を抜け出て遊んでいる間も、いつか才が芽生えると信じて必死に勉強を続けた。そんな鉄也の努力を嘲うかのように( 実際は皆大層気まずそうにしていたが)、友人たちは鮮やかにその才を咲かせていった。

 両親には工場を継いでくれと言われている。鉄也の実家は杜士の道具にも使用されている精密なネジ類を生産しており、植物を操る才能は全く無いが手先の器用な次男に、両親とも期待を寄せていた。

 鉄也とて、それが一番楽で自分の能力を活かすことができ、ついでに杜士の活動にも貢献できる選択肢であることは分かっているのである。その上で、わざわざこの道を選んだのだ。なにがなんでも杜士になりたくて。

 それでも無理なのだという。

 どうすれば良いのか分からない。どうあがいても杜士の上級学校には進めない。技工など、他科の上級学校に行こうと思えば行けるが行く気になれない。というか、今家に帰ることすらしたくない。

 いっそのこと、家を出て、在野の樹草管理官を探し、弟子入りしてしまえば良いかもしれない。公務員でなく、フリーで働く流浪の杜士も一定数存在するのだという。

 何はともあれ、日が暮れて河畔林がざわめき始めた。一晩を川岸で過ごすのは、流石に危ない。ひとまず集落の方へ戻ろう。

 決めて、土手をよじ登った。

 途中、どこか違和感を覚えて、隣の茂みを覗き込んだ。

「――― !」

 叫び声を噛み殺したのは、河川敷の木々に気付かれないか、辛うじて気が回ったためだ。

 少女がそこに倒れていた。

木霊と主

それは土手の中途を覆った、背の低い柳の茂みの中に埋もれていた。

(―――人間じゃ、ない)

 見付けた時、それは明らかに少女だった。慌てて枝をかき分ける、ごく僅かな間にそれの体つきは変化し、若い男の姿になった。思わず身を引いたその隙に、学校に通い始めるよりもまだ幼い子供に変わった。壮年の男に、乳児に、老人に姿はめまぐるしく変化し、再び若い男の姿となって落ち着いた。

(―――木霊憑きか、その類のモノか)

 杜人の中でも高い能力を誇るものは、植物のちからを、寝物語の中の魔法使いのように操るという。しかし能力が高いほど、あちら―――植物の側に惹かれ易くなり、仕舞には力を暴走させて狂う確率も上昇する。人外に堕ちた杜人は木霊憑きと呼ばれ、ヒトでは考えられないような性質を持つようになる。

 姿かたちが安定しないのは、木霊憑きの典型的な症状の一つである。

 鉄也は再び茂みを分けて、それをよくよく眺めてみた。

 それは依然として若い男の姿を保っている。

 どうにも年齢の捉えどころがないが、精々二十歳かそこいらといったところであろう。和服とも何とも言い難い古びた服を纏い、何が落ちているかも知れぬこのご時世に素足を晒しているのも、なるほど、木霊憑きといえば納得がいくようにも思われる。顔は無造作に伸びた髪で囲まれているが、これも染めているのでなければあり得ないほど青く、木の葉そのものといった造作だ。

 手を伸ばして、髪の先を指で少しだけ擦った。

途端、木の香りが一面に漂う。

(この香り―――ヒノキか!)

ヒノキ。ヒノキ科の高木で、寺社仏閣の建材としては最上位の素材。山地の尾根や岩場に自生するが、かつては建材として盛んに植樹され…

 何かがおかしい。

 ヒノキがこんな水辺にあるわけがない。

 沢筋や湿潤に過ぎる窪地では根腐れして枯れてしまう―――。

(⁉)

 手首を掴まれていた。

 それ、いや、彼は薄目を開けていて、まるで乾いた囁き声で、

「―――助けてくれ。此処は水が多過ぎる。」

 それで、決まりだった。

「ああもう、オレそんな体力無いから引き摺りますけど勘弁してくださいね!」

 鉄也は、彼を堤防の上まで引っ張り上げた。

 

***

 

「かたじけない、本当に何故素足で水溜りに足を突っ込んでしまったのか――」

「―――原因が分かっているなら止めましょうよ、そういうことは。」

 堤防の上にはまだコンクリート類が露出している箇所があり、昼の熱が少し残っていた。彼はコンクリートの上で見る間に回復していき、体を起こして軽口を叩ける程にまでなっていた。

(見れば見るほどヒノキだ)

改めて間近で見直してみても、髪などヒノキの枝葉にしか思えない。先には気が付かなかったが、耳から下がっている飾りはどうやらヒノキの球果らしい。

「こんなに水辺に近付いたことなぞ無かったのでね、余も気を抜いていた。」

「それにしたってそこいらに川なんていくらでもあるじゃないですか。」

「山は余の領域だが、こんな下流にまでちからが及ぶはずがないだろう?」

「全く、それこそ学校で習うでしょうに。」

 返事が無い。

(まさか、木霊憑きになるとそれ以前の記憶まで跳ぶのか?)

 鉄也は彼が自分をジロジロ眺めているのを見ながら、不審に思った。

「―――その制服は国立林学高等専門学校附属中等教育機関の。」

「旧関東第三管区校ですよ、落ちこぼれだけど。」

「道理で察しが早いわけだ。これから木曽路の本校に配属されるのかな?」

 それは。

 思い出したくなかったことだ。

不自然に流れた沈黙を、取り繕おうとしても文句が何一つ出てこない。横目でそっと相手を伺うと、大層気まずそうな顔で頭髪を、髪と言っていいのか分からないがとにかく頭を掻いている。

「これは失敗したかもしれぬ……」

 ああ。

 また、同じことの繰り返しなのか。

 結局のところ自分は何者にもなれぬまま終わるのか。

 ひたひたと惨めさが心を満たしていく。

「いえ、」

やっとのことで絞り出した声は掠れていた。

「気にしてないです、」

「忘れてくれ」

「僕が悪いので……」

「いいとか悪いとかではない」

(………)

(………?)

何かがおかしい。

「そう、忘れてもらわなければ、」

彼は呟くと、急にずい、と距離を詰めて手を伸ばしてきた。

「余が困るのだ」

ぞわぞわと背筋に寒いものが走った。動くべきだと、頭では分かっているのに。

「それ」の目は深い緑色で、ぐるぐると何かが渦巻いていた。

忘れてくれるね?

手を放せ。

背後から若い女性の声が聞こえた。途端に、顔を固定していた指が離れる。

目線が外れて体の緊張も解けた。途端に、どっと汗が噴き出てくる。

(なんだったんだ、いまのは)

相手の方を伺うと、ゆらり、立ち上がって鉄也の横を通り過ぎるところ。

振り返る。

とても機嫌の悪そうな、同じ年頃の少女が腕組みして立っていた。

 

***

 

「全くおまえは!!!どこに行ったのかと思ったぞ!!!」

「北方に行くと伝えたはずだが。」

「戻ってくるならまだしも、毎度迷うのにそれだけ伝えるヤツがあるか!」

「詳細を述べることは契約のうちに含まれておらぬ。」

「───ッッッ、」

何やら二人(?)で言い争っている。言い争っているというか、少女の方が木霊憑き(?)をガミガミと一方的に叱りつけている。もっとも、相手は暖簾に腕押し糠に釘、飄々と聞き流しており、その態度が少女の怒りにさらに油を注いでいるようだった。

(この二人の関係は一体……?)

二十歳くらいの男性に見える人物と、十代半ばほどの少女。ずいぶんと近しい関係に思えるが、聞こえてくる言葉の端々からすると、きょうだいや恋人、仕事の同僚といった関係のいずれでもないように思える。

あえて、あえて当てはめるのであれば、主とその従者のような……?

「おい、そこの……おまえ?キミ?」

呼ばれた。

おそるおそる近付くと、少女は疲れた顔で頭を下げた。

「身内がすまなかった。」

「あ……え……っと……」

何か「されそう」になったのは分かるのだが、何を「されそう」になったのか分からないために、謝られてもどうしたものやら、分からない。

「何か不具合はないか。頭がぼんやりするとか、記憶に抜けがあるとか。名前は言えるか。」

「室見鉄也……です。」

「所属は」

「国立林学高等専門学校附属中等教育機関……旧関東第三管区校の第三学年……」

「よりによって林専の生徒に見られたか……」

少女は肩を落とした。

「だから、余を止めることはなかっただろう?」

木霊憑きは目を歪めて笑う。

「今からでも遅くはないぞ?」

「おまえのやり方は知っている。私は嫌いだ。」

「あの、」

口を挟むべきではなかったかもしれない。好奇心は猫をも殺すという、自分には九つも命はない。それでも訊かずには、いられなかった。

「あなたは……あなた方は、何者なんですか?」

途端、二人は話をやめてこちらを向いた。

「余はその問いに答える権限を持たぬ。」

ザワリ。河畔を一際強い風が駆け抜けた。

「だが、そなたには【知る】権利があるな。」

少女は。

先程までの荒れようが嘘のように、感情の消えた顔をしていた。手をやって男を下がらせる。

「【狐憑き】という言葉を知っているか。」

「……かなり昔の言葉、ですよね。今で言う、心の病。」

「そう。狐憑きは実際に狐が憑いていたわけではない、精神の異常、脳の病によって【狐が憑いたような】行動をしていただけだ。」

「だが、」

「【狐】という生き物自体は存在しているだろう?」

それは。

まさか。

「ならば、【木霊憑き】の元になったモノも存在しているとは、思わないか?」

少女の背後では、蒼い木の葉をそよがせて、「それ」が影のように立っている。

『ヒノエ』

『御意に』

草木が揺れる。

(ああ、自分はとんでもないことに足を踏み入れてしまった)

「久久能智神が一柱、檜枝命。それがこいつの正体だ。」

更新箇所
bottom of page