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​◎海峡を越えて(小説版)
​第2部 北天の星
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 青森駅では、函館方面から入ってきた寝台特急の引継ぎ作業が粛々と進んでいた。

「ったく、俺は貨物のが性に合ってるの。こんな洒落た格好、痒くて仕方ない。」

トワイライトエクスプレス仕様の深緑の制服に身を包んだEF81がブツブツ溢した。

「似合ってると思いますけども。」

ED79は手元の書類をめくりながら、素早く申し送り事項に印を付けた。

「札幌駅の出発は函館本線の遅延の影響で2分遅れましたが、函館に到着した時点で回復して

 います。函館駅定刻発車、青森定刻着です。」

「へいへい。青森駅も定刻発車できそうだな。富山の落雷は気になるが、毎年のことだし。」

EF81は書類を受け取って、パラパラ紙を繰った。

「さっきからボクなんで蚊帳の外に置かれとるん?」

傍で不満げにトワイライトエクスプレスが頬杖を付く。彼は海峡線開業1年後、1989年から

走り出した大阪-札幌間の寝台特急で、先月に9年目を迎えたところだった。

「お前が話に入らない方が進むからだよ。」

「酷いなあボクのコトやろ?EF81サンはいっつも意地悪やな…。」

「意地悪じゃねーよほらアレだよアレ、愛だよ。」

「この人いつだってそう言うんよ、ホント面倒な人やわED79サン?」

「ED79(よそさま)を巻き込むんじゃありません!」

EF81がトワイライトエクスプレスに拳固を下ろした。2人の掛け合いはいつもこうであった。

青森の車両たちもこれには慣れっこで、笑いながら通り過ぎていく。

「大阪までまた長いんですから菓子でも食べてください。」

菓子を差し出す。青森銘菓のくじら餅と、リンゴジュースである。

「もう、これやからED79サン好き!」

「いつも済まないけど実際助かってる…ありがとう。」

これから更に900 kmを走る彼らは、喜んで手を伸ばした。

 

 出発する折、思い出したようにEF81が言った。

「そういや、来年あたりに北斗星の弟が入るらしいな。」

「北斗星サンよりも更にグレードを上げて、フラグシップにするそうなんよ。」

トワイライトエクスプレスも付け加える。

「どんな子なんやろね?」

「まあ、北斗星(お嬢)の弟なら、一癖も二癖もあるだろうな。」

不穏な予測を残したまま、日本海組は嵐のように出ていった。

 

***

 

「あのクソガキ、どこ行きやがった…?!」

上野駅16番線ホームで在来車両の115系が頭を抱えた。人の行き来が多少落ち着いた1月半ば、

当年夏にデビュー予定の新人特急カシオペアに上野駅の施設を説明しているところだった。

元々日程は決まっていて、尾久の車両センターから彼を叩き起こして連れてきた。

当初は大層虫の居所が怪しかったものの、北斗星の出発を見せてやるといった途端に機嫌を直し、

素直に話を聴くようになり、これならまだ可愛げがあるのにと思ったものだが。

「…どうしたの?」

上から常磐線の415系が覗いていた。

「あの子がまたどっかに消えたって?」

「そう!おまえ、心当たり無いか?」

415系は曖昧に笑った。

(どうせ新幹線ホームにいるでしょ)

(でも、ここで無理矢理引っ張らない方がいいね。さて…)

発車ベルが鳴り始めた。

「多分ね、知ってる。だけど、僕のカンでは放っておいた方がいい。」

それきり、最後に手を1回だけ振って、彼は上野駅を出て行ってしまった。

「…なんなんだよもう。」

115系は疲れた様子で頭を振った。

 

415系の予想した通り、カシオペアは新幹線ホームにいた。ホーム端のベンチに腰を下ろし、

足をブラブラと遊ばせている。やがて、耳の底が痛くなるようなキーンという音とともに、

E2系が姿を現した。滑るように入線してきたE2系は、すぐに、カシオペアがそこにいることを

認識した。

「全く、また来たの、カシオペア。」

呆れ顔である。このところ、カシオペアは連日新幹線ホームへ通い詰めていた。

「今日は上野で構内設備の研修でしょ…いい加減、115系さんの胃に穴が開くよ。」

「だって研修つまんないし、115系はいつも怒るし。お前の話を聴いてる方がいい。」

カシオペアは口を尖らせて言う。

「何があるか僕は知らないんだもの。教えてくれよ、E2系(やまびこ)。」

「いやそこは北斗星さんに訊けばいいでしょ、そもそもキミ、在来線じゃないか。」

「やだ!姉さんは怖い!」

即刻拒否された。北斗星は弟に対しても随分容赦がないらしい。

「フォークの持ち方から列車付け替え作業の申し送り方法まで教わっといてそれかよ。」

「テーブルマナーめんどくさい!みんな和食を食べればいいのに!」

「北斗星(お嬢)が聞いたらぶん殴られるぞそのセリフ…」

E2系はため息をつく。ビジネス、帰省者層が厚い新幹線とは何もかもが違う世界である。

とかく「目的地へ、できるだけ速く」がサービスの主である自分とは全く反対だ。

「上の人たち(かいしゃ)はキミをフラグシップにするつもりなんでしょ。自覚しなよ。」

「元より、自分がフラグシップだということは承知している!僕はスゴイ!」

「…この自信はどっから出てくるんですかね…。」

自分だって、東日本の新幹線としては一番の新人なのだが。というよりデビューはたかだか2年前である。

そりゃ、確かに自分の存在に誇りは持っているが。

「ああ、早く走りたい。早く北の大地を見てみたい。」

カシオペアは天井から吊り下げてある星に手を伸ばした。

「僕はまだ、一度も雪を見たことが無いんだ。ねえ、北海道って地平線が見えるんだって。

どこまでも続く田園の中を走っていくんだって。ほんとかな?」

暢気なことこの上ない。けれども、ワガママで、プライドだけは一人前にあって、自分を含め

周囲を振り回しまくるこの同僚のことを、E2はどうしても嫌いになれなかった。

「いや俺北海道行ったことないし…雪ね。お前、これから嫌って言うほど見れるよ?

 つーか在来線でしょ、雪のせいで走れなくなるよ?」

「でもお前は滅多にとまらないだろう!なんてムカつくやつだ!」

E2をポカポカ殴りながら、カシオペアは無邪気に笑った。

 

 ***

 

「…と、いうわけで来月から寝台特急カシオペアの試運転が始まるわけですが、」

ED79は函館駅発着の車両たちを見回しながら通告を読み上げた。

「何か意見は…ああ、当然ありますよね…。」

皆、何から言えばよいのか、といった顔である。

「既に上野⇔札幌間には北斗星が走っているはずだが…?お嬢も豪華寝台特急だよな?」

函館と札幌を結ぶ特急北斗が訝しげに訊ねた。

「西日本が日本海のルートにトワイライトエクスプレスを走らせてるのと同じです。」

「ああ、あれ、評判いいよな。…寝台特急はシェアで航空に負けるから、付加価値を付けて

 棲み分けする方面でないと生き残れないってことだろ。…ヤバいね。」

海峡はのんびりとした態度で、思いっきり地雷を踏みつけた。1988年3月、青函トンネルが開通し、

北海道―本州間の貨物輸送は船から鉄道へ大きく変化した。ただし、旅客の長距離輸送に関しては、

初っ端から航空との競争を避けていた。でなければ、付加価値を全面的に押し出した北斗星のような

列車を導入しないはずである。

「羽田⇔札幌空路は、旅客営業の許された戦後すぐからドル箱路線だ。海峡線開業と同年に

 新千歳も開港しただろ。羽田、成田に次いで、福岡と旅客輸送第3位を争っている空港だぞ。

 4年前には24時間営業になった。貨物は大体棲み分けしているからまあいいが、それにしても、

 この時期の新車両投入はなかなか冒険だろ。」

はまなすが寝起きの目を擦りながら補足する。

「…詳しいね?」

「今更何を。こっちは福岡が席田飛行場、東京国際が東京飛行場だった頃から知っている。」

そんなことはどうでもいいが、と言って彼女はED79を見据えた。

「次に青森へ渡るときは、上手く連絡をとって『あけぼの』辺りから話を聴いておけよ。

 こっちも、相手とはそれなりにうまくやっていきたいからな。」

「お嬢はどうなんだべさ?」

キハ40系が林檎を剥きながら訊いた。

「お嬢はその坊主の姉貴なんだべ?そりゃ、そっちに訊いた方が話は早いんでねの?」

「あー…北斗星はな…弟のことをよろしく、なんぞ言って逃げてだな…。」

はまなすが遠い目をしたので、周囲の者たちは大体事情を察した。

「アクティブに研修をサボるわ、脱走するわでなかなか手がつけられないらしいが、完全に

 姉の形質を受け継いでるじゃないか…。」

ああそういう、と海峡は笑う。

「好きなひとは好きそうだよね、そういうコ。」

「誰のことを言っているのかな。」

はまなすに睨まれ、海峡はそっぽを向いて舌を出した。

 

 ***

 

「東日本旅客鉄道のカシオペアです!」

寝台特急カシオペアとの初顔合わせとあって、部屋には函館駅発着の車両たちが集合していた。

元気よく飛び込んできたカシオペアの後ろから、ED79がそっと部屋に入ってきて、後ろ手で

扉を閉めた。

「またえらく元気な子が来たね、これは。」

「元気なことだけが取り柄だなってよく言われます!」

「褒められてないと思うよそれ。」

「少なくとも一箇所は僕のいいところを認めてくれているので!」

「ポジティブだな…。」

藤色の髪に留められた、磁針の髪飾りがふわりと揺れる。

「ずっと北の大地に憧れていました。僕、ここに来れて嬉しいです。」

カシオペアは車両たちを見渡すと、透明な瞳でニコリと笑った。

 

「………」

「これで4度目だぞ?」

「………」

「頭は悪くない。飲み込みは早いし質疑も的を射ている、だがそれはそれ、これはこれだ。」

特急北斗は吐息をもらしながらマフラーを解いた。

「無断欠席が多すぎる。要はサボリ魔だな、あの小僧は。」

「誰か捕まえて訳を聞いたか?半日は空けずに戻ってくるんだろう?」

沈黙。

「そもそも、時間外にどこにいるかがよく分からないんですよ。」

ED79が困りはてた顔で言う。

「客車控室にいたと思えば、資料室で本を読んでいたり、ひょんなところから出てきたり。

 駅構内外をウロウロしているようで…。」

「研修に参加している間はそれなりに真面目だからな、相手してると面白いし、どういうわけか

 叱る気が失せるんだ。色々聞く気もな…なんなんだろうな、あれは。」

DD51が頭を掻いた。

「お嬢の系譜なだけはある。まあ、アレが目の前から消えたとたんにしまったと思うんだがな。」

「甘いなあ、お前ら二人とも甘過ぎるぞ。」

北斗はしかめっ面でDD51とED79を睨んだ。

「なんにせよ、これ以上放っておくのは本人にとってもマズいだろ。次はないぞ。あいつを

 見かけたら捕まえて訳を訊けよ。」

 

貨物の引継ぎを終え、しばしの休息時間に突入したED79は、北の車両控室へ向かっていた。

窓からは西日が差し込み、薄暗い廊下に四角い模様を形作っている。

「……。」

前から誰かが歩いてきたので、ED79は立ち止まって端に寄った。

藤色の髪に、磁針の髪飾り。髪と同じ藤色の瞳。

「カシオペア?カシオペアですよね?」

思わず声を掛けてしまったのは、その顔がいつになく暗かったからだ。

数日前の無邪気さは息を潜め、瞳は青黒く沈んでいる。

「…ED79?」

カシオペアは顔を上げて、こちらを見た。

「なにか、用?」

そう言われると、言葉が出てこない。あたふたしているED79を眺めて、カシオペアは

ちょっとだけ笑った。

「まあいいや。ちょうどいいかも。僕、ED79に訊きたいことがあったんだ。」

「訊きたいこと…?」

「そう。ED79は…自分の仕事、好き?」

カシオペアはずい、とED79に近寄った。

「好きも嫌いもありませんが…ただ、僕は望んで青函に来たので。」

秋田の風も海も、嫌いではなかった。もちろん、兄のことも。

それでも、一人で走っていけることを示したかったから。

「僕は、ここにいることに満足していますよ?」

「…そう。それならさ、」

カシオペアは軽く息を止めると、ED79を見上げた。ED79は彼の瞳の奥にちらちらと、

迷いが見え隠れしているのを認めた。

「走れなくなったら、どうする?」

「走れなくなったら…?」

一瞬、開業時の暗闇が脳裏を過ぎた。カシオペアは真剣な顔で、こちらを覗き込んでいる。

「新しい車両が入ってきて…お前はお役御免だって言われたら、どうする?」

「…そちらの方ですか。」

ならば、答えはずっと簡単だ。

「僕は引退して、消えるでしょう。保存車になる見込みは薄いと思いますし…。」

「………」

「まあ、仕方ないことです。」

カシオペアを見やる。彼は大きく目を見開いて、一歩後ずさった。

「なんでそんなにアッサリ言えるんだ。」

そんなことを言われても、困る。これがED79の、本心なのだから。

だから言った。

「だって、僕たちって…そういうものでしょう?」

今度はハッキリと、カシオペアが息を呑む音が聞こえた。彼はなんだか絶望したような顔をして、

吐き出すように呟いた。

「駄目だ、やっぱり駄目だ…お前には言えない…」

「何が、ですか…?そういえばカシオペア、僕も君に訊きたいことが…」

二の句を継ぐことは叶わなかった。

カシオペアはあっという間にED79の横をすり抜けると、昏い瞳で一度だけこちらを振り返って、言った。

「お前には、走ることへの執着がないんだな。」

 

「あの小僧は一体どこに行ったんだ!」

DD51が頭を抱えて机に突っ伏した。

「昨日から姿が見えないんだぞ!これはマズい、すごくマズい…。」

無線に耳を澄ませていたED79の顔がサッと青くなる。

「試運転の方にも影響が出始めていますね…。」

「俺たちの行動は少なからず現実に反映されるからな!牽引機だけでの維持はもう限界だ、

 早いとこカシオペアを見つけ出さないと。」

「二日前に会った時、様子がだいぶおかしかったんですよ…僕、地雷を踏み抜いた可能性が…。」

「お前は悪くない…俺だってあいつの地雷がどこにあるかとか分かんねえ…しかしやっちまったな…。」

DD51は暗い顔で鉄電の受話器を掴んだ。

「東に抗議の電話かけてやる。」

「DD51…」

「冗談だよ、東の方だって大騒ぎだろ、何か有益な情報がないか訊く。」

DD51はダイヤルを猛烈な勢いで回し始めた。

「おい、ED79、DD51。」

開け放しの扉の向こう側にはまなすが立っていて、こちらを覗き込んでいた。

「え…すみません…もう、そんな時間ですか…。」

「いや、夜行の出発時刻じゃない。落ち着け、まだ17:00前だぞ。お前らが大騒ぎしてるんで、

 目が覚めたんだ。」

はまなすは眠そうな目で髪を漉いた。

「ED79、カシオペアに何を訊かれたんだ。」

 

「なるほどな、」

と、はまなすは合点したように頷いた。

「大体の事情は把握した。」

「まあ、トリガーを引いたのは僕なんですよね…。」

「そうだな。」

はまなすはED79の肩をポン、と叩いた。

「理屈の上ではお前は正しいんだが。まあ、ちょっとまずかったな。」

そのまま、戸口の方に向かっていく。

「どこに行くんです?」

「そりゃ、悩める青少年のところだろ。」

はまなすはちらっとだけこちらを見て笑った。

「私が適任だとは思わないけどな、まあ、ちょっと行ってくるよ。」

 

 ***

 

夕暮れに包まれた函館港を、はまなすは一人急ぎ足で歩いていた。後から追い掛けるように

町明かりが増えていく。いい加減周りを歩く人も少なくなった頃、暗闇へ沈んでいく港湾部の端に

人影が2つ、見えた。

「やっぱり、ここにいたか。というか摩周丸、お前も何をやっているんだ。」

声を掛けると、気まずそうな笑顔の摩周丸がこちらを振り向いた。

「ちょっと放っておけなくてね。ごめんよ、はまなす。」

はまなすはため息をついた。

「…カシオペア。」

摩周丸の背後にいた影がビクッと震えた。

「私を何だと思っているんだ。…少し話をしよう。」

「…怒らない?」

青い顔をしたカシオペアが、少しだけ顔を出した。

「いや、怒る。いきなりお前が消えたおかげで、こっちは大騒ぎだったからな。」

はまなすはカシオペアのもとへ歩み寄ると、軽く頭に拳固を下ろした。

「せめて、いつ戻るかは連絡してくれ。心配したんだ。」

「ごめんなさい…。」

二人はしばらくの間、暗い海面を眺めていた。少し遠い湾内で、魚が跳ねた。

「はまなすは知ってると思うけど、」

海に視線を投げたまま、カシオペアが呟いた。

「僕らってさ、新幹線が通ったら消えなきゃいけないんだよね。」

「“消える”の定義によるがな。引退という意味なら、おそらくその通りだ。」

堤防の端を掴んでいるカシオペアの指が震えた。

「去年、北海道新幹線のルートが正式に決まったでしょ、5年後くらいには工事が始まるし。

…僕って、走る前から終わりが分かってるんだ。」

「新幹線の線路が伸びるのを見ながら、いつ自分は廃止になるんだろう、って考えながら走るの?

 そう考えると、たまらなくてさ。」

後から後から流れる涙を、乱暴に拭って、叫ぶように続ける。

「終わりが分かっているのに、なんで頑張らなきゃいけないの?もう分からないよ。」

沈黙が流れた。いつの間にか摩周丸は姿を消していて、防波堤の隅には2人だけが取り残されて

いるのだった。

「終わり、ね…私は2回も死に戻っているが、あまりいいものではなかったな。」

カシオペアに言うとでもなく、誰に言うとでもなく、はまなすは独り言のように呟いた。

「1回目は空襲で炎上、沈没して死んだ。2回目は台風の折で、車載用の口から浸水が止まらず、

 結局沈んで死んだ。今世は鉄道車両になってしまったから、いつ死ぬのかはよく分からないな。

 譲渡される、あるいは保存車となれば引退して即消えるわけではないようだが。」

「それなら、はまなすはなぜ走れるの?」

カシオペアは俯いたまま訊いた。

「僕、消えたくないよ。死にたくないんだ。せっかく走る路を与えられたんだから、

 ずっと走っていたいんだ。」

「そうだね…」

はまなすはしばらく黙って考えると、カシオペアの頭に手を伸ばして、そっと撫でた。

「自分にしかできないことがあるから、かな。」

「自分にしかできないこと?」

「私の存在意義は今ここにあって、ここにしかないものだからな。いつか新幹線に取って

 代わられるものだけれど、今は確かに私の、私だけの仕事だ。」

「はまなすは本当にそう思っている?終わりから目を逸らしているだけじゃないの?」

「そういうつもりはないが。」

はまなすは薄く笑った。

「私は正直、いつ自分が消えようが構わないんだ。もちろん、自分の担っている使命を

 放り出すつもりはないけれどね。ただ、あまりにも皆が死んでいくのを見過ぎてしまったから。」

カシオペアは顔を上げて、はまなすを見た。確かに相手は笑っているはずなのに、

背筋に冷たいものが走る。どうやら今言った文句は全くの本心であるらしい。

瞳の奥の深い深い闇に囚われそうになって、カシオペアは慌てて視線を切った。

「はまなすは、」

その先の言葉は出てこなかった。言うべきではないと思ったからだ。言葉に出してしまったら、

何かが決定的に壊れてしまう気がして。 

「だから私はお説教をする立場としては失格だろうな。」

そう軽い調子で続けてくれたので、少しホッとして、視線を戻す。その瞳には、既に闇の影も形も

なかった。

(こわいひとだ、はまなすは。)

「私は自分にしかできないこと、自分がせねばならないことをするだけさ。走る理由は

 それぞれだろうが、少なくとも私の理由はそれだけだ。」

「自分にしかできないこと、自分がしなければならないこと…。」

「そうだ。ぶっちゃけお前を真面目に走らせることも私の仕事なんだが、」

はまなすは悪戯っぽく笑った。

「さてさて、新しいフラグシップ様はどうすれば走っていただけるのかね?」

(やっぱりこわいひとだ、はまなすは。)

「そうだな、やっぱり僕は、長生きはしたいかな…。」

「先ほどは言わなかったが、お前、どうせ保存車になるからそうそう簡単には消えないぞ。」

「はまなすはそう思う?」

「まあ北斗星ほど確実じゃないが、受け入れ先は間違いなくあるだろうな。」

「…そう。」

ならば、走り続けることが許されている限りは、精いっぱい自分にできることをするまでか。

「それなら僕は、はまなすより長く走り続けることを目標にするよ。」

「どうかな。こっちは旧式の客車だからな。譲渡先でお前より長生きするかもしれないぞ。」

「そこまでは勘定に入れてないんですけど…!頑張れば頑張るほど、僕の価値は高まるわけだから、

 思いっきり高根の花になってやるさ。」

「やる気がどうにもねじ曲がっている気がするが、まあいいか…。」

はまなすはため息をついた。

「さ、戻るぞカシオペア。ED79とDD51(牽引相手)が血眼で探していたからな。」

 

 ***

 

 1999年7月16日。まだ薄暗い、早朝の上野駅13番ホームに、カシオペアの姿があった。

今日は1日、忙しくなる。その前に、静かなホームを見ておきたかったのだ。

線路を模した床の模様を辿り、ゆっくりと往復を繰り返す。これで何回目か、端に着き、

振り返ってみると、手前の階段を北斗星が下りてくるところだった。

「姉さん」

目をこする。スケジュールの上では、姉が今、上野駅にいるはずはないのだが。

「やっぱりここにいたわね、シオくん。」

「今日は北海道にいるんじゃなかったっけ…?」

「可愛い弟の晴れ舞台に、のんびり仕事してるほど暇じゃなくてよ。」

北斗星は笑う。蒼い髪に留めた星の飾りが、キラキラと輝いた。

「はまなすに聞いたわ。北の子たちを散々引っかき回してきたそうね。」

カシオペアは、ビクンと体をすくめた。

「…自分勝手なことをしたと、反省しています。」

「きちんと謝った?」

「はい。」

「自分のしたこと、することには責任を持ちなさいね?」

「はい。」

カシオペアは、素直に頷いた。

 

「シオくん、ちょっとこっちにいらっしゃいな。」

言われるがまま、北斗星の前まで進む。姉は、襟元の徽章を1つ外した。前々からずっと、

気になっていた星型の徽章だ。北斗星のヘッドマークとは異なる、少し異質な徽章。

北斗星は白い指を伸ばして、その徽章をカシオペアの襟元に留めた。

「あげるわ。今日からあなたがフラグシップトレインだから。」

「姉さん…」

「おまもりよ。」

頭に何かが触れている、と思ったら、北斗星に優しく撫でられているのだった。

「自分にしかできないことを思いっきりしてごらんなさい。」

「できるかな。」

「できるわよ。」

姉は、自信たっぷりに頷いた。

「だってシオくんは、この私の弟だもの。」

その瞬間、蛍光灯に照らされて、寒々としたホームの景色が、急に色づいたような気がして、

カシオペアは辺りを見回した。ホームの敷石も壁の模様も、何もかもが親しみを帯びて自分に語り掛けてくるようだ。

北斗星はその様を見て、また、クスクスと笑った。

「何も怖がることはないのよ、」

「過去に何があろうと、これから何が起ころうと、あなたはあなただわ。」

「まっすぐ走っていきなさいな。」

「デビューおめでとう、カシオペア。」

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