青函連絡船の取材に行ってきました!
人は何故、青函連絡船に惹かれるのか…その謎に迫るべく、我々はアマゾンの奥地…ではなく青森と函館へ向かった…。
青函連絡船摩周丸(Ⅱ)
事の発端:八甲田丸と摩周丸のサイトは定期的に巡回することにしているのですが(この時点で既におかしい)、ある日、いつものように覗いた八甲田丸のサイトに「イベント開催」なる文字が…なんと船内の非公開エリアも見学できちゃう☆とのこと、これは行くしかない、行かねばならない、と即日冬コミの売り上げを交通費に突っ込んだのでした…。
(略)→東京→新青森→青森→八甲田丸→青森→新青森→新函館北斗→函館→摩周丸→函館→新函館北斗→東京→(略)という強行スケジュール!さあどうなる…
はやぶさ45号
4時台の始発に乗り辿り着いた東京駅。新幹線、何度見ても何回乗ってもテンションが上がりますね。この日の新青森行き始発は6:00発のはやぶさ45号。なお臨時便です。車内販売はないよ!と何回も放送で念を押されました。まあね、旅は長いからね。
新幹線内では盛岡あたりまで爆睡していました…。岩木山見たことしか覚えてない()
青森駅の先に見える八甲田丸
さて、青森駅です。写真中央になんとなく見える八甲田丸!摩周丸もそうですが、駅から見えると本当に鉄道連絡船だったんだなあ…と感じます。
…雪、積もってましたね…結構、深く積もってましたね…駅の方(保線さん?)が総出で雪かきしてました…。
八甲田丸
この可動橋が好きです(告白)往時はなかなかこのアングルで撮ることは難しかったのではないでしょうか?知らんけど。
さて、船内探検ツアーまで少々時間があったので、ボランティアの方に超特急で案内して頂きました。青函ワールドとか色々見どころはあるんですけど、個人的なおすすめポイントを…座席です。
グリーンの自由席はここまで倒れる
グリーンの指定席と自由席で倒れ方が違うんですよ…指定席はめっちゃ倒れる、もう飛行機のファーストクラスかってくらい倒れる(乗ったことないけど)。自由席もだいぶ倒れます。なんかJRにグリーン車(とリクライニング設備)が導入され出したのが1950年代~とからしいんで、その当時を反映してると思うと面白いですね。ちなみに指定席と自由席の価格差は500円です…なら指定席とるよ…というか普通乗船運賃2000円て安くない…?いやまあ物価は違うと思うけど!
船長室
なんで電話が2つあるんだろう…?船内と船外とか…?写真中央に掛かってる船舶外套は私がこの世で一番好きな制服です…めっちゃ好き…
高級船員と一般船員の船室(※通常非公開エリア)の差はすごいぞ
ロッカーにアイドル(当時)の写真とか貼ってあったぞ…ドルオタ…
船員食堂
奥の黒板には最終運航日のメニューが書かれている(昼食がうなぎ定食)
郵便車(スユニ50 509)の中
「ここに座って移動しながら仕分けしてたんですよ~」(マジか…)
船内探検ツアーでは、船首の部屋とか、錨のチェーンが収納されてるところとか、一般船員の船室とか、船員食堂とか、郵便車の中とか見せて頂きました!お話で面白かったのはまだ電気系統が生きてるって話かな!小学生が見学に来た時に中央制御室の何かをいじっちゃって、そしたら上の部屋のファンが止まったらしい…案内してくださった方(元機関長)は大喜びしたそーな…
まだまだじっくり見たかったが函館へ向けて出発!すまん八甲田丸!また夏には行くから!新幹線開通して青森本当に近くなった…。
北海道新幹線、乗ると「n時m分頃に青函トンネルに突入します」って教えてくれるから大好きです。山陽新幹線は関門トンネル教えてくれないんだよなあ…まああれは短いということもあるけどさ!めっちゃ目を凝らしてみていたら青森側のトンネル出口が分かりました(展望台が見えた)。
新函館北斗に着いたら寒かった(真顔)。そら(北海道だもん)そう(寒い)よ。函館ライナー、好きです。五稜郭あたりの景色がとても好きです。ED79たちがここを走ってたんだなあ…って思うからさ…。五稜郭機関区は赤熊さん(DF210)と800ちゃん(EH800)がわらわらいました。いい加減800ちゃんにも愛称付けてやれよ…レッドスターとかどう?
函館に着いたら即8番線に向かいました。聖地だもんね!この間来たときは8番線でなく6番線ばっか撮ってたので…何やってるんだ自分…。
雪に埋もれているがこのベンチは聖地
聖地ですよ(「午前0時のサンドリヨン」)。1人ずつ座る式の椅子じゃないのポイント高い。凄まじく高い。サンドリヨンは4pしかないので、ちゃんと描き直したい。
それはともかく摩周丸(Ⅱ)です…
摩周丸(Ⅱ)
やっぱり雪積もってるし表面凍ってるよ!!!滑る!!!登山靴履いてきてよかったな!!!函館駅で遊びまくってしまったため残り時間が1時間半!短すぎる!
松前丸(Ⅰ)の号鐘
八甲田丸に行くと必ず空襲の碑をお参りするんですけど、摩周丸の場合はこれですね…まっつん…当たり前だけど戦前に作られた船なんでガッツリ英語使われてますね!現場レベルで英語使わないのとか無理じゃろ…隣の石狩丸は英字が入ってないんだけど、製造年は書かれてるのでたぶんどう書くかはもう現場のノリとかなんだと思う(適当)八甲田丸の号鍾は「八甲田丸」としか入ってなかった!
他にも見るべきところはたくさんあるのですが、私の推したいポイントはこれです…電子化ダイアグラム…なんと戦後(5年後くらいからだったかな、あんま覚えてない)のダイアグラムのほぼ全てが閲覧できるという代物です…やべえよ…。
1954.09.26のダイアグラム
時間無かったので終航の日(1988.03.13)と洞爺丸事故の日(1954.09.26)の日のダイアグラムしか見てない!けどそれだけで30分ぐらい使った!
実は欄外に書き込みがめっちゃあるんですね(わざとトリミングしてるけど)。1週間くらい通い詰めて書き込みを解読したいぞ…。走り書きで、とっても読みにくいんです(察し)終航の日の字は綺麗で読みやすかったです。というか可愛かった。書いてるのオッサン(でなくてもおにーさん)だよね?
次行ったらお召し船の時のダイアグラムとか事故前後のダイアグラムとか復帰時のダイアグラムとか見たいーーー
摩周丸チョロQ
摩周丸、チョロQとかペーパークラフトとか出しまくってるからもう大好き。みんなチョロQ買おう、1000円だぞ。パッケージが可愛いぞ。
後日談:調子こいて北へ行ってたらインフルエンザAを発症しました(死亡)
どうなる?!修論!修論発表!進学試験!ついでに2月イベントの新刊!(なんでぶち込んだの)まあなんとかなるじゃろ…ブログ書いてないで論文書きなさいよ(ほんとそれ)というか寝ろよ(すまぬ)
次は2月のイベントの報告ですかね…インフルエンザ、大流行している(観測の結果)のでお気を付けて…